イギリス/アメリカ/フランス 2015
監督 トッド・ヘインズ
原作 パトリシア・ハイスミス



ハイソで品のある熟年女性キャロルとデパートの売り子であるテレーズの、同性同士の恋を描いた作品。

非常に映像は美しいです。

50年代のニューヨークを緻密に再現した美術や衣装は男性の私が見ていても、なんてキュートなんだろう、とため息がもれるほど。

特にルーニー・マーラの化けっぷりは凄かったですね。

いや、「ドラゴンタトゥーの女」の印象が濃かったものだから。

her/世界でひとつの彼女」や「トラッシュ~この街が輝く日まで」でも彼女を見てるはずなんですが、いまやすっかり印象にない。

つまり、それほどヘインズ監督が、ルーニーを美しく撮ること(もちろんケイトもですが)にこだわっていた、という事なんでしょう。

デジタル全盛の時代にわざわざ16ミリフィルムを使って撮ったことも、古き良き映画の質感を焚き染める意味では効果的だった、と言えると思います。

最初の数十分ですでに名画の予感を感じさせる佇まいがあるんですね。

あえてカットバックにこだわる作りも狙いすました古典の踏襲と言えるでしょうし。

非常に質は高い、と思います。

そこは間違いない。

ただですね、私がひっかかったのは1にも2にも脚本でして。

やっぱりね、同性同士の恋、となると、そこはどうしたって禁忌に触れる部分が必然的に鎌首をもたげてくるはずなんです。

それは対世間であったり、対モラルであったり。

ましてや50年代。

今ですらLGBTに対する偏見、蔑視は後を絶たないのに、そこをなんなくクリアできてしまう2人の関係性って、どうなんだろう、と私は思ってしまうんですね。

極端に言ってしまうならキレイすぎるんです。

そりゃキャロルは酸いも甘いも噛み分けた手だれのバイセクシャルだから秘め事に対するハードルはきっと低いんでしょうけど、 ことテレーズに関しては、もっと逡巡なり躊躇なりがないとおかしい。

恋する気持ちだけですべてを捨てられるほどの小娘でもないでしょうし、そこまでキャロルを希求するなにかが彼女の中にあった、という確信的描写もない。 

もっと覚悟が居るはずなんですよ、非難されることを承知の上で人とは違う道を選択することって。 

こう言う形の愛があってもいい、というのはわかるし、伝わってきます。

でもね、二人の恋路をただ美しく描くだけなら、それは別に同性愛である必要はないわけで。

普通に男女の恋愛でも「置き換え可」なんですよね、物語の構造的に。

辛辣なことをいうならハーレクインロマンスと何が違うんだと。

ラストシーン、キャロルのアルカイックスマイルがどこか魔性を感じさせて大島渚監督の遺作「御法度」を思い出したりもしましたが、多分そういうベクトルのことがやりたかったわけではないでしょうし、うーん、私にとってはどこか消化不良ですね。

これでベッドシーンがなかったら俄然評価も変わってきてたと思ったりもするんですが、 世間の評判は真逆なようでどうにもこうにも。

テクニックは高いが中身がない、などというと怒られてしまいますかね。



movie