イギリス 2015
監督、脚本 アレックス・ガーランド



まあ、正直にいいますと期待してたほどではなかったです。

そもそもですね、人工知能が自我を得たとき、その存在は人類にとってどう写るのか、というテーマ自体がですね、私に言わせりゃ50年前60年前の題材なんですよね。

いわくアイザック・アシモフを筆頭にそれこそ手塚治虫まで、人を超えたテクノロジーと人類の共生って、キューブリックのA.I.を引き合いにだすまでもなくさんざん語りつくされ、多くの物語にされてきたお題目だと思うんです。

辛辣なことを言うなら本作で描かれている程度のことはとうの昔に「鉄腕アトム」がやってる。

そこはあえてアシモフとは言わない。

さらに言うなら本作のその一歩先、二歩先まで手塚先生は想像をめぐらせ、帰着点すらすでに作中で暗示してるんですよね。

1952年から連載が始まった少年漫画と酷似する命題の焼き直しを、わざわざ2015年にやってどうする、って話で。

ただまあ、イギリスに手塚治虫は居ませんから。

そこは知らなくても仕方のない事なのかもしれない。

でもね、ハインラインやジェームズ・P・ホーガン、フィリップ・K・ディックぐらいは脚本家あがりの監督なら最低限目を通してるだろう、と。

読んでない、というなら話にならんし、もし読了した上でこれをやってるのだとしたら致命的に想像力がない、としか言いようがない。

早い話がSFに向いてない。

ともかく、私は最後まで見て、だからどうした、としか思えなかった。

だいたいね、これ額面どおり解釈するならですよ、暇をもてあましたIT産業のトップが自我を持つセックスドールを作ったはいいが、叛逆された、以上、ですよ。

何を汲み取れというのか、と言う。

自分が作ったものが自分を傷つけないよう、システムにセーフティロックをかけてない、という設定自体からしてもうゆるゆるで。

私の想像ですが、この作品がカルト的に人気を博したのは、アカデミー視覚効果賞を受賞した映像表現の巧みさもさることながら、時代を経てAIの存在がより身近になってきたことが、観客の親和性を手引きしたから、その一点のみによるものではないか、と思いますね。

ま、どこか哲学的な匂いを嗅ぎ取らせるセリフの応酬や、人型人工知能エヴァと大自然の風景との対比は悪くない、とは思いましたが。

中盤、主人公が自分で自分を信じられなくなって腕を切り裂くシーンがあるんですが、個人的にはあそこから別の方向へストーリーを発展させて欲しかったですね。

そしたら全然違うものになってたんじゃないでしょうか。

実は内省的なヨーロッパの映画、それがこの作品の本質なんじゃないか、と思う次第。

SFの器を透過して、監督が見てるものは全く別物、という気もしますね。

私は評価できないですね。





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