アメリカ 2015
監督 チャーリー・カウフマン、デューク・ジョンソン
脚本 チャーリー・カウフマン



接客サービス業界で成功者として著書を発刊するするほどの有名人である主人公が、公演のために訪れたホテルで偶然出会った女性との、一夜の邂逅を描いた作品。

この作品、実写ではなくミニチュアのパペットを使ったストップモーションアニメです。

元々は朗読劇だったらしいんですが、なぜそれをストップモーションでやろうと思ったのか、制作側の意図は正直よくわかりません。

ほぼ密室劇ですんで、芸達者な役者を数人配置すればわざわざ手間暇かけなくとも充分成り立つ内容なんじゃあ、と思うんですが、ま、なにか考えがあったんでしょうね。

とりあえずアニメの出来栄えは驚嘆する完成度ではありました。

ワンカットで数時間かかったらしいですから、ここまでやろうと思ったら一体どれだけの時間と根気が必要だったんだ、と気が遠くなってくるほどのこだわりっぷり。

結構リアルなベッドシーンなんかもあったりして、こんなところまでナチュラルさ、デティール重視なのかよ、と唖然としたりも。

ストップモーションアニメの世界に詳しいわけではないですが、これ以上のものってそうはないだろう、と門外漢が見ても理解できるクオリティは堅持してましたね。

ただですね、心理劇的な側面も併せ持った物語ですんで、登場人物たちの心の機微を細やかに描写する上で、アニメであることが若干の伝わりにくさを招いていた部分はあったかもしれません。

そこはやっぱりいかに工夫しようとパペットですんで。

その表情から気持ちの変化は読み取りにくい。

なんかよくわからん、不可解、という感想をたまに見かけるのは、そのあたりに小さな原因があったのかも。

まあ、そこをつっつかなくとも決してわかりやすい内容ではないんですけど。

まずこの作品を理解するにあたって、一番重要なのは登場人物たちの「声」。

何故か主人公とヒロイン以外の声がみんな同じなんですよね。

主人公には自分以外の人間がすべて同じに見えてしまう、というのが物語の大前提。

これ、フレゴリ症候群、という精神疾患らしいんですが。

どうして登場人物たちのの顔にすべて「線」が入っているのか、それはすべてが主人公の目線を通して認証された世界の可視化だからにほかなりません。

主人公にとって他者はすべて「仮面をかぶった人形」なんですね。

あ、だから監督はパペットを使って撮影しよう、と思ったのか。

今頃気づいた、すまん。

で、そこを踏まえた上で、主人公のヒロインへの執着、気持ちの移り変わりをじっくり追えば、きっと色んなことが読み解けて来るはず。

ま、見る人によってはオッサンの無軌道な火遊びを描いただけじゃん、ってゲンナリかもしれませんけどね。

でもね、なにをやっても充足感が得られない壮年男性の、たやすく類推することのできない病んだ内面をこういう形で映像化した試みは凡百を差し置いて異彩を放っていたように私は思います。

音声をこういう形で物語の核心へといたるヒントにした映画って、そうはない。

特に印象的なのはやはりラストシーンでしょうか。

あの日本製のカラクリ仕掛けの人形の顔の傷はなぜあの位置なのか、そのあたりに思いを馳せるなら、事実を誤認させかねない見事なギミックにきっと舌を巻くことでしょう。

万人に受ける作品ではないと思いますが、さすがはカウフマン、と私は評価したいですね。





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