アメリカ 2016
監督 ギャビン・オコナー
原案 ブライアン・ダッフィールド



タイトルの「ジェーン」ってのはやはり「シェーン」のもじりというか、女版シェーンをやろう、という制作側の意図があってのことなんでしょうかね?

原題はJANE GOT A GUNだからそりゃ勘ぐり過ぎか。

南北戦争後という時代設定といい、人の嫁と色々面倒くさい感情のもつれがある男が活躍する筋書きといい、どことなく似てるような気がするんですが、実際のところはどうなのか、私には調べきれず。

まあでもこのシナリオでシェーンは無関係、と言っても通らないでしょうけどね。

ナタリー・ポートマンがプロデューサーに名を連ねてる作品ですんで、最初は彼女が七面六臂な大活躍をするクィック&デッドみたいな内容なのかな、と私は思ったんですが、さすがにそこまで冒険はしてません。

ポートマンのあの細腕で男勝りに悪党どもを早撃ち秒殺じゃあ、あまりにファンタジックすぎますもんね。

そのあたりは配慮されてます。

むしろ主役はジェーンの昔の男である、ダンである、と言っていいかもしれません。

なにが普通の西部劇と違うのか、というと、悪党どもに因縁つけられて多勢を相手にたった2人で家を守らなきゃならない、というお定まりのパターンに至るまでの道筋を、ジェーンの目線を通して描写している点でしょうね。

それが圧倒的な暴力の支配する世界において、弱い女の立場の無惨さであり、ささやかな幸せを守ることの難しさをじっくりあぶり出していた事は確か。

切り口の目新しさはあったように思います。

ただですね、私の感覚からするとこの物語、ちょっとゲスい。

何がゲスいかというと、ジェーンが襲撃にあうとわかって最初にとった行動に他ならないわけなんですが、ジェーンね、旦那が怪我して誰にも頼れないからって、つきあいの断絶した昔の男にのこのこ助けを求めに行きやがるんですね。

子供のためになりふりかまってられない、と言うのはわかります。

でもそこには「昔私のことが大好きだったあの男ならきっと今でも手を貸してくれるはずだわ!ええきっと!たとえその身を弾幕に投げ出すことになろうとも!おほほほほほほ!」みたいな計算高さ、底意地の悪さみたいなものがどうしても透けて見えてきてしまう。

他の選択肢がなかった、とジェーンは作中で独白してるんですが、そりゃどう考えても自己欺瞞じゃねえか?と。

いや、あるだろう、って。

結局、矜持がないんですよね。

たとえ徒手空拳で無力だろうと、災厄に自ら立ち向かおうとする気高さみたいなものがどこにもないんです。

それって性別関係ないと思うんですよ。

そりゃね、男はバカですから昔の女から「皆殺しにされるかもしれない」とお願いされたらやっぱり手を貸しちゃいますよ、嫌だったとしてもね。

けれどそんな呉越同舟に共感するのって、見てる側からしたらやっぱり難しいですよね。

これがですね、ジェーンたった一人で子供を守るために戦うなり、逃走の旅に出るなりする展開で、追い詰められ窮地に陥ったとき「ああ畜生、俺はバカだ」とか舌打ちしながら昔の男が助けに現れる筋立てなら、もうなにもかもが全然違ったと思います。

俄然どっちも応援したくなることは間違いない。

そしたらジェーンとダンの間にあった誤解から来る確執も、わざわざ長い時間をかけて解きほぐしていく描写を全編に渡って挿入しなくとも、語らず一瞬で、誰も悪くはなかったんだ、すべては戦争が悪かったんだ、って自然に思えるようになる。

物語の立ち上げ方を間違ってるんですよね。

だから予定調和なハッピーエンドも、うんうんよかったね、じゃなくて、したたかな女が姑息にまんまと次の幸せを手に入れやがった、みたいな風にどうしても見えてくる。

ナタリー・ポートマン、体当たり演技で非常に頑張ってます。

ダンを演じたジョエル・エドガートンもザ・ギフトとはうって変わって渋くてかっこいいガンマンを熱演。

これはおもしろかった!って、言いたいんですよ私も。

けどやっぱりシナリオがダメ。

女性の目線で描くという着想は良かったが、男女関係のもつれが薄汚く見えてしまう時点でこの手の映画としちゃあ及第点に及ばず、というのが結論ですね。

残念。





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