アメリカ 1959
監督 スタンリー・クレイマー
原作 ネビィル・シュート



第三次世界大戦後の滅びゆく世界を切々と描いた仮想SF。

さて、SFとは書きましたが、この作品には想像を超えたテクノロジーも登場しなければ、サイバーな街並みを描写した特撮映像も存在しません。

物語の時代設定は1964年なんですね。

核ミサイルの報復に継ぐ報復で、北半球はほぼ壊滅状態、唯一放射能の影響が及ばなかったオーストラリアに、帰る国を失ったアメリカの原子力潜水艦が寄港するシーンからストーリーは幕を開けます。

描かれてるのは、残り5ヶ月と期限を切られた最後の日々をどうやって過ごせばいいのか、不安と焦燥にかられながらもなんとか生き抜こうとする人々の姿。

というのも、直接な着弾こそなかったものの地球を覆う放射能は南半球にも日々忍び寄ってきていたからです。

なにも奇抜な仕掛けや、仰天する展開等、ありません。

謎のモールス信号を原潜で追うくだりがあったりするんですけどね、基本シナリオは、ごく普通な人たちの、普通の日常を淡々と追っていくだけ。

それは家族を失った原潜の艦長とヒロインのささやかな恋であったり、小さな子どもいる家庭のたわいない夫婦の会話であったり。

違うのは、それらすべてが期限付きのかりそめな毎日であること。

ネタバレになってしまうのを承知で書きますと、この作品に救いはありません。

アメコミのヒーローが間一髪で危地から人々を救うこともなければ、放射能除去装置がイスカンダルから届いてめでたしめでたし、なんてこともない。

何もできずにただ運命を受け入れるしかないやるせなさ、無念さを、刹那に切り取ることで「ありえたかもしれない世界の終焉」を粛々と監督は肉付けしていきます。

ある科学者が、劇中で押し殺すように語ります。

「みんなが戦争に反対していた。けれど誰かが核ミサイルのスイッチを押した。そしてまた誰かがその報復にスイッチを。私にも責任はあっただろう。でもどうしてこうなった?」

この作品が発表されて60年近くが経過しようとしていますが、昨今の世界情勢を鑑みるに、何か少しでも人類は、そして世界は変わったのだろうか、そんなことを私は考えたりしました。

ラストシーンが薄ら寒くも恐ろしく印象的です。

反して、終盤の浜辺のシーンなんかは美しすぎて涙なしには見られなかったりもする。

胡散臭いディストピアものなんかじゃ足元にも及ばない迫真のドラマと、人が人たらんとする美意識がここにはあります。

「反戦映画」と軽々しく言葉にするのも生ぬるい傑作でしょうね。

モノクロで135分という長丁場ですんでいささか冗長に感じる人も居るかもしれませんが、今だからこそ見ておくべき1本、そんな風に私は思いました。





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