アメリカ 2017
監督 アレクサンダー・ペイン
脚本 アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー



来るべき将来の人口爆発問題を懸念し、人間を1/14に縮小する技術が実用化された世界を描く一作。

ぶっちゃけネタそのものに新鮮味はないように思います。

映画は言うにおよばず、ミクロ化する人間を題材とした作品なんて古今東西に腐るほどありますしね。

どうせアレでしょ、ほのぼのと笑わせておいて心温まるオチで安い感動をどうぞ、みたいな感じなんでしょ?などと、見る前から私は完全に斜に構えたモードだったんですが、これが意外や意外、割とおもしろかったりするんでびっくり。

いい意味で裏切られましたね。

まず、私が感心したのは、人間を縮小化するプロセスをデティールにこだわって細やかに描いていること。

一昔前のSFみたいに光線浴びたら小さくなってた、みたいな安直さじゃないんです。

きちんと医療行為としてのダウンサイジングなんですね。

まず依願者は、一方通行である(元に戻れない)縮小化に書面を交わして同意しなくてはなりません。

その後、財産等を処分し、専門の施設で処置を受けることとなる。

どのような生理的メカニズムで縮むのかは詳しく言及されてませんが、処置を受けるシーンだけをとっても10分以上は費やしてその過程を絵にしてますんでね、妙な説得力があるんですよね。

縮小化することによって一気に大金持ちになれる、という設定もよくできてる。

なんと言っても食べる量が劇的に減りますし、水道光熱費にしたって微々たるもの、ダイヤひとつ買ったところでサイズがサイズだから数十ドルで済んでしまうわけです。

手持ちの現金が一生食うに困らない財産に化けてしまうんですね。

問題は心理面だけ。

すでに世界には縮小人間のためのコミュニティがいくつも点在している。

親や友達と別れて遊んで暮らせる生活を手に入れるか、それとも貧しいまま一生を終える人生を選択するか、物語は序盤で主人公に選択を迫ります。

予想外の展開が次から次へと待ち受けてる中盤以降の筋立てもよくできてまして。

縮小人間であることがいったいどういうことなのか、世界の行く末にまで言及してくる終盤にはいささか驚かされたりも。

まあ、最初に人口爆発って言ってますんで順当と言えば順当なんですけど、集団のカルト化を追っていくあたり、練られてるなあ、シナリオ、と思いましたね。

思いのほかしっかりとSFなんですね、ストーリーが。

架空の世界のお話を、架空のまま終わらせてない。

もし本当に縮小人間が存在したらどうなるか、ということがきっちりシュミレーションされてる。

ヒロインがベトナム人の反体制運動家、というのも目先が変わってていい。

縮小人間であることに、どこか忸怩たる思いを抱いてる主人公の煮えきらなさを、ヒロインがリード、目覚めさせていく役割を見事果たしてるんです。

普通にドラマとして秀逸なんですね。

ま、少し残念だったのは、縮小人間のコミュニティが存在する世界を、普通の人間の側からちゃんと描けてないことですかね。

なので一企業にコントロールできるものなのかこれ?と若干の違和感が残ったりはする。

普通の人間に依存しない限り、コミュニティは存在しえないわけですから。

縮小人間を世話することで得られるメリットがないと機能しないのでは?と思ったり。

これって国家事業の部類なのでは、といぶかしむこともしばしば。

あとは、縮小人間の世界が通俗的に一般社会のカリカチュアとして描写されてるのがいささか想像力不足かと。

正直、色々と隙はあると思うんですよね。

目を見張る出来、とはいい難い。

でも、終わってみれば、ドラマ作りのうまさからくる長所ばかりが印象に残っていて、不思議と満足感がある。

縮小化というありふれた題材を、丁寧に磨き上げた良作じゃないでしょうか。

欲をいうならリチャード・マシスンの「縮みゆく男」ぐらいのSF的独想性がラストに待ち受けていてほしかったところですが、まあ、これはこれでいいんじゃないかと。

広い世代に「悪くなかった、結構面白かった」と受け入れられる作品ではないか、と私は思いますね。