三柴理というより三柴江戸蔵、といった方がなじみがあるかもしれません。

80年代の日本のインディーズバンドに感化された人なら筋肉少女帯の初期キーボードプレイヤーとして、その名を記憶していることと思います。

とりあえず私が仰天したのは1にも2にもこのアルバム。

 

もう、何事か、と思いましたね。

コミックバンド調のパンクロックなのに、全編に乱舞するようなピアノの魔弾。

何よりも新鮮だったのは、ロックにピアノがこのような形で貢献することができるのだ、という事例を他にないスタイルで世に知らしめたことでした。

はっきりいって三柴理以外のメンバーの技巧はさほど達者であるとはいえません。

しかし、技術を超えて、大槻ケンヂの狂気とお笑いを行き来する歌詞が、独特の歌唱スタイルが、三柴のピアノと真っ向勝負を繰り広げており、それがこのアルバムだけの、世界のどこにもない唯一無二なキチガイパンクを具現化させていました。

もうずっと馬鹿笑いしながらアルバムを聴いていたのを記憶しています。

大げさですけど、頭おかしくなるんじゃないか、と思った。

三柴の技巧が、ようやく他のメンバーとある程度釣り合いが取れた唯一作がこの2ndミニ。

 

残念なのはパンク色が後退して、隙のないメタルになっちゃってることなんですが、それでも凄まじいまでの横関敦のギタープレイと見事シンクロするピアノはまさに水を得た魚で、聴くものの目を点にさせます。

よくこの内容で大槻は存在感を消されなかったことだと思う。

これだけの演奏に全く負けなかった大槻こそ評価されるべきでは、と後年思ったりもしました。



その後筋肉少女帯を脱退した三柴理は横関敦のソロプロジェクトに参加して3枚のアルバムを残すんですが、私、個人的にはこのシリーズ、退屈でした。

dinosourはその第一弾アルバム。

凄いレベルの高いことやってる、とは思うんです。

でも何かが足りない。

それはやはり大槻という毒まみれのスパイスだったのかもしれません。



2000年、再び大槻ケンヂと合流し、特撮のメンバーになる三柴理ですが、残念ながらここには筋肉少女帯在籍時の気の触れたようなお笑いパンクイズムは存在しないように私には感じられました。

当時流行りだった歪ませまくったギターサウンドが、三柴の繊細かつパーカッシヴなプレイを殺していた、とも言えるように思います。

最初のインパクトが強大すぎたゆえのファンのないものねだりなのかもしれませんが、このサウンドならあえて三柴は必要ない、と私は思いました。

ふりかえるなら、三柴理という卓越した鍵盤奏者は、ロックに革命的なピアノのスタイルを持ち込みながらも、その絶頂期は80年代の一瞬だけだった、といえるかもしれません。

一瞬であるからこそ名だたる世界のロックバンドを押しのけて、私の記憶に強く残っているのでしょう。

余談ですが、こういうピアノアルバムも発表しています。

 

ロック色はゼロ。

故に私はこのアルバムについて語る言葉を持ちません。



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